古事記にも記載のある陰陽五行説とはなにか?

日本最古の歴史書と言われる古事記の序文に以下のような記述があります。

乾府を握りて六合を統べ、天統を得て、八荒を包ねたまふ。二つの気の正しきに乗り、五つの行(めぐり)の序(つぎて)を斉(ととの)へ、神しき理(ことわり)を設けて俗に奨め、英れたる風を敷きて国に弘めたまふ。

古事記 現代語訳付き 中村啓信著

上記を現代語に訳すと、

「天皇は天子のしるしとしての神器を保ち、天下四方を統一し、天照大御神の霊魂を継承して、国の遠い隅々まで束ねられた。それには陰陽の原理を計り収め、五行の順序を整え合わせ、現実には神の教えを定めて人民に勧め、勝れた教化を国中にお広めになった。」

これは古事記の編纂をした太安万侶(おおのやすまろ)が天武天皇を賛美して記した文です。
天武天皇は陰陽五行を用いて国を治めたと書かれています。

「陰陽五行」

誰でも一度は耳にしたことがある陰陽という言葉。
しかしなかなかその中身までを知る人は少ないのではないでしょうか。
平安時代に国を治めるために用いられたと言われるこの「陰陽五行」について、迫っていきたいと思います。

陰陽五行とは

陰陽五行とは「陰陽五行思想」、「陰陽五行説」または「陰陽五行論」と言われます。
この陰陽五行思想の歴史は古代中国の春秋戦国時代(紀元前770~221)までさかのぼります。

もともとは「陰陽思想」と「五行思想」という別々の思想だったものが、一つに合わさった思想です。

陰陽思想とは

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